ネット広告人のための広告業界史①20世紀アメリカの運用型広告

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本ブログとしては3年弱ぶりの更新。
こんにちは。アプリデベロッパーの林田です。

弊社は現在インターネット広告事業を収益の柱としております。インターネット広告といえども広告、ということで、ドメイン駆動設計を奉じる私としてはドメイン=広告について知らなければなりません。
そこで私は広告史について勉強し、社内発表やSlideShareで資料公開をしているのですが、その資料が貯まってきましたので、この場で簡単なまとめを掲載します。
今回はその第1弾として、運用型広告の先駆者たちを紹介していきます。

インターネット広告の他媒体広告と異なる特徴として常々強調されるのが、効果計測精度でしょう。
どの広告を見て、何度見て、どの程度の時間を経て成果に至ったのか、などという情報が、他媒体に比較して極めて高い(と思われる)精度で算出されます。それにより、効果を計測しながら暫時調整を行なっていく素早い広告運用が可能となります。
しかし、インターネット広告領域で運用型広告が素早く普及した背景には、一世紀近くに渡る他媒体での試行錯誤がありました。

 

クロード・ホプキンス(1866-1932)

 

クロード・ホプキンスはコピーライターであり、「リーズン・ホワイ派」の父として知られます。
「リーズン・ホワイ派」は、セオドア・F・マクマナスを中心とする「イメージ派」と並んで20世紀前半のアメリカ広告業界を席巻した二大流派の一つと位置付けられます。

ホプキンスの最も重要な功績の一つがテストマーケティングの発明です。
その最初の例として知られるのが、1910年代に行われたペプソデント歯磨き粉の新聞広告であり、掲載されたクーポンを切り取って送付することで10日分の試供品がプレゼントされるというものでした。もちろん、11日目以降の購入案内も同封されていました。
これはテストマーケティングの先駆けであり、クーポン広告の世界最初の例でもあります。

またホプキンスは、1923年その広告手法を「広告マーケティング21の原則」に著し、以後の広告人に大きな影響を与えています。

 

ジョン・ケープルズ(1900-1990)

 

ジョン・ケープルズはコピーライターであり、ダイレクトレスポンス広告の父として知られます。
ケープルズは1925年のピアノ教室の広告「They laughed when I sat down at the piano but when I started to play!」をはじめとした伝説的コピーでも知られますが、壮年以後にGEや米海軍で大規模な広告研究を行いました。
その成果は1958年に発行した「ザ・コピーライティング」に結実し、後述するデヴィッド・オグルヴィに激賞されるなど大きな影響を与えています。

 

ウィリアム・ペイリー(1901-1990)

 

ホプキンスとケープルズは広告事業者の発展に貢献しましたが、メディアの発展も不可欠でした。
20世紀になるとラジオやテレビなど新たなメディアが登場します。そこで重要な役割を果たしたのがウィリアム・ペイリーでした。

ペイリーの登場以前では、新聞や雑誌などのメディアにとって主要な収益は販売での売上や定期契約料でした。ペイリーは実家のタバコ販売業に携わる中で、ラジオの広告効果に注目してラジオ事業者を買収。スポンサー付きラジオ番組を全国展開しました。
そこでペイリーが確立したビジネスモデルは、インターネットメディアをはじめとして現代のメディア事業者の多くが採用する「広告収益モデル」として知られています。

 

デイヴィッド・オグルヴィ(1911-1999)

 

最後はデイヴィッド・オグルヴィです。
オグルヴィは「広告の父」とも呼ばれ、数々の伝説的キャンペーンを生み出しました。
それだけでなく、二次大戦中には英国秘密諜報部(MI6)に勤め、世論調査で知られるギャラップ社にも関わり、それらの科学的調査法を広告業界に取り入れ推進したことも、オグルヴィの功績として注目すべき点です。

インターネット広告の登場後に運用型広告が速やかに広まったのは、ホプキンス、ケープルズ、ペイリー、オグルヴィらの先駆的仕事と普及活動があったからにほかなりません。
こういった視点から、自らが携わる仕事を眺めてみることも面白いように思います。

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